耳を澄ますと眼下の谷底から滝音が聞こえる。
北アルプス常念岳への登山道がある須砂渡渓谷に大水沢の滝がある。対岸の展望台からは、一筋の白い流れが新緑に覆われた急峻な山塊を切り裂くかのように落ちているのが見える。
夕方、狭い渓谷はもう暗くなりかけていた。おまけに、曇り空からポッポツと雨が落ち始めた。大抵は店仕舞いと機材を片付ける状況である。実は、こんな時がシャッターチャンスなのだ。風で木々の枝が揺れすぎてはいけないが、白い流れはスローシャッターで浮き出るように美しく表現できる。
「よし、もう一枚」とファインダーを覗き込んだ時、画面の中に小さな黒い点が飛び込んできた。装着していたのは、幸運にも300ミリの望遠だった。
「小鳥だ!」白い流れの中程に顔を出した黒い岩のLに止まって羽を休めている。こういう瞬間に遭遇すると、たちまち血が全身を駆け巡って体中がカーツと熱くなる。「止まっていてくれよ」と願いながら、ブレないようにシャッターを切る。僕の慌てぶりを知る由もなく、しばらくして小鳥は姿を消した。
以前、この滝の中腹を。頭のカモシカが渡るのを目撃したことがある。恐らく水を飲みに来たのだろう。人知れず流れ落ちるこの小さな滝にも、山で生きる命たちとの関わりがあることを知り、この滝がより好きになった。
ある仕事で、千曲川の源流から河口までを辿り、撮影したことがある。長野県川上村の甲武信岳(2475m)山腹に源流を訪ねた折、大木の根元から染み出る清水を手ですくって飲んだ。例えようもない冷たくてウマイ水だった。一筋の湧水はせせらぎとなり、渓流となって山を下った。やがて新潟平野を信濃川と名を変えたゆったりとした流れは、新潟港付近で日本海へと注いでいった。
この川に合流する支流河川は、300以上もあるという。北アルプス槍ヶ岳や穂高岳の水を集め、上高地を経て松本平を流れる梓川も、四季折々に通う美ヶ原高原から我家の横を通る薄川もその支流だ。小鳥やカモシカが水を飲みに来る大水沢の滝も同じ水系にある。今まで考えたこともなかったのだが、実は根元でひとつに繋がっていたことを知り、目の覚める思いだった。
川という壮大なメカニズムは、人間にとっての血管と血液の関係に似ている。血液は、体内を循環して生命を維持している。
川の水は、絶えず源流から海へと流れ、海に注いだ水はまた雲となり、雨となって源流へと還っていく。この不思議な、水でしか成し得ない循環によって自然は浄化され、維持されている。「循環」は「生命」の法則のようなものかもしれない。宇宙では星々が、誕生、死滅、再生という循環を繰り返す。
地球の自転や公転も、地球が地球として存在し続けるための循環。地球上で、様々な生物が生死を繰り返していることも、生命存続という命のリレーの循環に違いない。この壮大な循環は、途方もないスケールで果てしなく続いていくのだ。
日常の暮らしの中で、自分サイズで目にできる循環もたくさんある。例えば、新緑の若葉が紅葉し、やがて散る。朽ちて土となった落葉が新しい命を発芽させる。動物も人も子と生まれ、成長して親となり、老いて死ぬ。自然界の至る所で、様々な命が変貌しながら循環している。
自分自身もその一個だ。一個一個は小さく儚くとも、宿す命は尊いはずだ。もっとしっかり、もっと大切に循環する一瞬一瞬を見つめていきたいと思う。