キッシュタインホルン・3203m。頂上直下の氷河まで、山麓のカプルーンという小さな村からゴンドラがかかっている。山頂駅の展望台から、オーストリア・アルプスの最高峰を眺めてから、中間駅までゴンドラで降り、ここからトレッキングをスタートした。
8月、残雪の残る緑の山腹をトラバース気味に下っていると、突然、身体が青空の中に放り出されたような開放感に包まれた。両側が切れ落ちた草付きの尾根に出たのだ。
山頂を背に、さらにはるか眼下の湖に向かって下る途中、色とりどりのアルプスの花々に目を奪われて写真を撮っていると、牧童らしきおじさんが登ってきた。被っているチロリアンハットに本物のエーデルワイスが3輪挿してあるではないか。ドキドキしながら「それはどうしたの?」と聞くと「この下に咲いているよ」と日焼けした笑顔で教えてくれた。
そこは登山道から外れた、片側がスパッと切れ落ちた岩壁の上だった。
「あった!」白いエーデルワイスが本当に咲いていた。
周囲にいくつか咲いているが、近寄れそうな株はひとつだけだ。落ちないように足場を決めて、岩壁から身を乗り出す格好でシャッターを切った。牧童のおじさんに会わなかったら、知らずに通り過ぎているところだった。宝物を見つけたようなラッキーな気分だ。
僕はふと、ヴィーザーおばちゃんが言った言葉を思い出した。「エーデルワイスは危ない場所に咲いているから、探すときは注意しなさい」。本当だなと思った。ヴィーザーおばちゃんは、そろそろ80歳になるが、僕のオーストリアのお母さんと言える人だ。
1978年、インスブルックのおばちゃんの家に下宿させてもらった。当時、夢中でチロルの山やスイス、フランス、イタリアの山に登りに出かけていた僕におばちゃんはいつもおにぎりを作って持たせてくれた。
2000年の夏、NHKの「オーストリアーアルプストレッキング紀行~幻の花エーデルワイスを探して~」というBS番組の取材の折、おばちゃんからエーデルワイスにちなむ話を聞いた。「昔、この地方では、若い男が恋人にプロポーズするとき、山からエーデルワイスを採ってきて渡したものだ」と。今も仲良く暮らすタルトおじちゃんも、かつておばちゃんにエーデルワイスを手渡したのだそうだ。今時のチロルの若者たちは、もうそんなことはしないだろうが、ロマンチックないい話だと感心した。
辞書によるとエーテルという言葉は、気高い・貴重な、などと書かれている、ワイスは白であるから、エーデルワイスは「気高き白」の意を持つ、アルプスに咲く花は500種類を越えるが、その中でも決して目立つ花ではない、地味とさえ言えるこの小さな花に、人々は昔から特別な敬意と熱き想いを寄せて共に暮らしてきたのだ。
信じ難きことだが、ヨーロッパアルプスは、遠い昔、海底が隆起し、永い時間をかけて氷河に削られ、風雪に侵食されて今の山々の姿となった。木々、高山の花たち、山の動物たちも環境に適応して生き延びてきた。人が山麓を牧草地として利用し、今のアルプス独特の美しい景観ができあがった。この地球の上で、すべてが共に関わって生きているのだ。
地球温暖化は止まらず、未だ戦火は止まない。人間の愚かさで、その調和を壊すことは絶対に許されない。エーデルワイスが密かに咲いていてこそ、ヨーロッパアルプスはいつまでも魅力的なのだ。