稜線の彼方に

稜線の彼方に

長男が生まれた翌日、雪の美ヶ原高原に登った。

18年前の初冬のことだ。真白に雪化粧した北アルプス、槍穂高連峰が目の前に聳えていた。朝日に山々が赤く染められるモルゲンロートを撮りながら、誕生した息子の名前を「稜」にしようと、その時、決めた。

松本に生まれ育った僕が、故郷の山々を意識したのはいつのことだったか。地元の高校への自転車通学の途中で仰ぎ見た冬の常念岳に、圧倒的な存在感を感じたのが最初であったように思う。故郷の山々を撮るようになって、自分の生まれ育ったこの地が類稀な自然美に恵まれていることを知った。

山と対峙し、シヤッターを切るごとに、僕の山への想いは素晴らしさから有難さに変わっていった。そして、山と向き合って生きられることが、心の底から幸せだと思えるようになった。写真を撮るという行為は、被写体をただ見るだけではなく「見つめる」ということなのだが、僕にとって山々はその対象として比類のないものとなった。故郷の山々は「見つめ続ける」特別で大切なものだ。

一例を挙げれば常念岳(2857m)だ。安曇野のシンボルといわれるほど、この山を愛する人々は多い。僕もその。人で、松本から20年来、常念を撮り続けている。山々は昔から信仰の対象として崇められてきた。日本ばかりでなく、世界中でその地で生きる人々の生きる支え、拠り所となっている。

故郷の山々を撮影する最高の場所のひとつとして、僕は美ヶ原高原に度々登る。ここからの眺望は、日本一、贅沢だと断言できる。富士山から時計回りに、甲斐駒・北岳・仙丈岳と連なる南アルプス連峰・中央アルプス・御岳・乗鞍・槍穂高連峰、その手前に常念岳、そして鹿島槍・五竜・白馬三山と続く後立山連峰・北信五岳・浅間山・八ヶ岳とぐるり360度。夢の大展望だ。とりわけ、槍穂高連峰は、松本平を隔てて、巨大な屏風を立てたかのような見事さで、主役を張っている。

昨年の2月、その冬、何度目かの撮影で、美ヶ原高原に登っていた。夕刻、王ヶ頭にスタンバイして、日の入りを待った。予想どおりに大きな夕日が乗鞍岳の有肩に沈んでゆくシーンは素晴らしいものだった。太陽が落ち、やがて夕映えのピンクの空か次第に紫色に変化していった。周囲には先ほどまでザワザワしていたカメラマンたちの姿も消え、冷え冷えとした静寂さが満ちていた。

眼前には、槍穂高連峰の見慣れた稜線が、くっきりとスカイラインを描き出していた。シルエットとなった山腹に、雲海のようなブルーの雲が棚引き、その下に安曇野の街の灯がチラチラと輝き始めていた。

心の底が震えるような光景を見つめていると、僕の心の中に愛おしさが込み上げてきた。高く雄大な山々の懐に抱かれるように人間たちは暮らしている。眼前の光景に、地球と人間との関わりが見える気がしたのだった。

話は冒頭に戻るが、当時「稜」という人名漢字が使えなくて、結局、息子は「亮」になった。しかし、この名に託したのは常念や槍穂高連峰のように高く、美しく、雄大であってほしい、人々を抱き、支えとなる存在であってほしい、との願いで、それは今も変わらない。山を見つめるということは、稜線の彼方にかけがえなき、有難き地球の本当の姿をしっかりと見据えることなのだと思う、今日も、故郷の山々の稜線が美しい。


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