雨と水中花

雨と水中花

春の雨が止む気配もなく降り続いていた。この曰、乗鞍高原へ、そろそろ見頃の水芭蕉を撮りに行くことにしていた。

びっしょりと濡れるであろう撮影を思うとちょっと気が重かった。「でも、行かなきゃな」と車に機材を積み込みアクセルを踏んだ。「雨の曰は、面白い写真が撮れるんだから、喜んで出かけなくっちゃ」と普段、写真教室でみんなに話しているのはこの自分自身だ。

標高1500m、雨に霞む乗鞍高原・一の瀬園地に人影はなかった。いつもどおりに水芭蕉の咲く水辺に歩いて行った。「あれ・・・」状況が見えてくるまでに少し時間が必要だった。

降り続いた雨水が窪みに溜まってプールのようになり、顔を出していた花たちが水没していたのだ。水の中を覗き込むと、白いきれいな水芭蕉の花たちが水中花となっている。その株の真上の水面に、雨雫が丸い波紋を次々と広げていた。撮影することを忘れ、しばらくは眼前の光景に見とれていた。水際から3mほどに咲く一株の水芭蕉をフレーミングし、広がる雨の輪のリズムに合わせてシャッターを切った。

それにしても、この出会いは絶妙なタイミングだった。乗鞍高原は標高が高いため、花が咲いたあとに霜が降りることが度々ある。冷たい霜に会えば、きれいな白い花たちは無残にも茶色に変色してしまう。花が傷んでいないのは、とてもラッキーだった。それに、この春の雨が一日早くても、まだ花たちを水没させるほど溜まっていなかったであろうし、翌日では雨が上がって水は引いてしまい、この光景も消えてしまっていたことだろう。

もう12年前の話になるのだが「水の回廊」という写真集を作った。主に、故郷である信州の自然や自然現象を撮ったものだが、この本の後書きに、こう書いたことを思い出す。「果てしない宇宙。ただ一つ、青く輝く不可思議な星。地球は永遠なる命をたたえ、命を育む水の玉。自由自在に姿を変えながら絶えることなく水は今日も地球をめぐってゆく。水こそ地球、水こそ命、水こそ自分自身地球が太陽系に生まれて46億年が経つと言われる。途方もない時の流れであり、この先、地球がどうなるのか想像すらつかないのだが、今、自分の目の前には、山があり、河があり、海があり、大地がある。花が咲き、魚が泳ぎ、鳥が飛び、多種多様な生物たちが動き、そして、人問たちが生きている。現実で知り得る限り、こんな星は唯一つ、地球しかない。

太陽と地球との絶妙な位置関係が生み出した「水」の存在。その水が生み出した「命」の存在。地球は、宇宙に浮かぶ水と命に満ちた奇蹟の星だ。

乗鞍高原で、雨と水中花が見せてくれた一瞬の光景は、まさに「水と命の星・地球」が演出してくれたドラマだった。この地球の上のあらゆる場所で、こうした奇蹟の一片一片が織りなす一瞬のドラマが、あの雨雫の輪のように次々と生み出されては消えているのであろう。そんなドラマに出会う。そんな一瞬に立会うなんとスリリングで素敵なことか。

今まで、気にもかけなかった足元の一木一草一石が、確かな存在感を持って語りかけてくる。感じられなかった風や光の旋律が聞こえてくる。故郷・地球のかけがえなき美しさ、不思議さを全身で感じたい。そして、心を込めてシャッターを切る。それが、この地球の上で生きる僕の仕事ではないかと考えている。


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