アルプス登擧記

アルプス登擧記

 山頂には魔物が棲むとして恐れられていたマッターホルン(4478m)に初登頂したのは、イギリスの挿絵画家エドワード’ウィンパーだった、1865年7月、6年間に渡る8度の挑戦の末、友人と地元ガイドの7人パーティでスイス側のヘルンリ稜から初び頂を米たした。この時、下山途中でザイルが切れ、1人が滑落死する悲劇が起きた。この歴史的登胆の顛末は、ウノノパー自身が挿絵ともに綴った「アルプス登頂記」の中に詳しい。

1976年、僕は北アルプス穂鳥岳の涸沢ヒュッテで働いていた。什事を終え、従業員部屋で懐中電灯を照らして読んだのが、浦松佐美太郎訳、文庫本の「アルプス登単記」たった。まだ見ぬヨーロッパアルプスの名峰・マッターホルンへの夢が、穂高の稜線を越えて広がっていった。マッターホルンに登りたい。その想いは抑え難く、二年後、ヨーロッパアルプスに旅立った。下宿をしたオーストリアのインスブルックで山岳写真協会が主催する登山学校に入り、岩登りを学び、初めて氷河の登り降りも体験した。

その年の夏、手始めにグリンデルヴァルトでヴェッターホルン(3701m)に登った。

アイガー、メンヒ、ユングフラウと登り、ツェルマットに入った。夢に見たマッターホルンが目の前に聳えていた。8月28日、登頂した日の懐かしい日記がある。

「あと5mの地点で頂上へ立つ前にアイゼンをつけた。そして、ついに4478mのスイス側のピークに立った。11時20分だった。・・・最大の目標に今、立つことができた。この瞬間を目指して、ここ数年が過ぎてきた。そして今、マッターホルンの頂上で全てを見回している・・・」

この日、滑落事故があり、頭上ではヘリが慌しく飛んでいた。ヘルンリ小屋からツェルマットのテント場へ下山し始めたのは、午後9時過ぎだった。

「振り返るとマッターホルンの黒いシルエットは、この世の物とは思われない大きな怪鳥が巨大な翼を降ろしているかのように思えた。・・・その姿の美しさは、魔術のように人々を吸い寄せ、時々無情にも生贅を捧げさせる。暗闇の中、マッターホルンを背に下っていると、昔、ウィンパーの頃、魔物が棲むといって恐れられた理山が解る気がした」

 あれから28年。最大の目標だったマッターホルンは、いまだに僕の憧れの山に変わりはない。この山のお陰で僕はヨーロッパアルプスと出合え、更に不思議な縁で写真家の水谷章人先生と出会うことができた。今、カメラを担いで故郷信州の山野を巡り、時にはヒマラヤの峰々を仰ぎ、カムチャッカや南米パタゴニアに出かけて行く。シャッターを切る心の奥底には、いつもマッターホルンがある。

 面白い巡り合わせだが、息子が今、穂高涸沢ヒュッテで働いている。入山の折、一冊の本を手渡した。あの読み古した文庫本の「アルプス登擧記」だった。30年振りに涸沢に還った訳だ僕も、もう一度、原点の涸沢へ登ろう。今の自分を見据える為に、そして、まだまだ頂上の見えないマッターホルンへ登り続ける為に。


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